(未完)かつて留学に憧れた俺たちへ

この記事は、未完成です。

私は、自己愛も、承認欲求も強いので、本当は書きかけの文章なんて世に出したくありません。本当は、完璧を見てほしい。

それでも、今日という日にこの文章のカケラでも打ち明けなければ、もうここに認めた気持ちを吐き出す機会なんてないと確信したので、これを放ちます。

取り止めのない言葉の中に、未完成ゆえ拙さ残る論理の中に、絡まった私の気持ちを見つけて、ほぐして欲しい、です。お願いします。

 

 

人生のローディングが終わらない。

おかしい。

どうしても、大学院という次のチャプターが読み込めないんだ。

そんな状態が、もう一年も続いている。

このカセット、もう壊れたみたい。

 

かつて留学に憧れた俺たちへ。これは俺たちの慰め合いのテクストだ。

 

こんな文章が万人に受け入れられないのは明白だ。

だから、まずは悪魔に反駁を押し付けておこうか。

みじめったらしい言い訳が嫌いな人は、しばらく読み飛ばして本論に移ってください。

 

このリンクから本論に飛べます。

 

ここからが反駁タイムです。

箇条書きで書かれたフレーズが悪魔のことばで、そのあとに私の気持ちが続きます。

 

  • いやなら留学やめろよ

 

は?やめるよ、ばーか!

と突っぱねることができたらどんなに楽だろうか。

 

やめられないからつらいのであり、ここでやめるべきではないよと理性が諭してくるからつらいのであり、強制的にやめさせられるほど壊れることもできないで平気なフリをしてしまうから現状が変わっていないのである。

 

損切りが圧倒的に下手というのも留学に向いていなかった私の気質の一つであり、それは後で詳述するつもりである。

 

  • だったらSNSでこんな発信するなよ、つらいですアピール苦手なんだよね

 

私がまだ辛うじて耐えられているうちは、それは平気ということなのだから、発信するのは不恰好なのかもしれない。

しかし、こういった文章を書く気力ですら日に日に失せているわけであるし、遺書は書けるうちに書いておいた方がよい。なにより私がこの文章に強い存在意義を感じているんだ。書くって言ったら書くんだよ。

 

この文章は一種の予防線であり、

  • 「本当は留学に耐えられている僕」が「耐えられないよ助けて」とみんなに慰めてもらおうとしているさまは、
  • 「テスト勉強をしていたAくん」が「ノー勉なんだよ助けて笑」とクラスに喧伝しているようで、

非常に恥ずべき行為なのかもしれない。

また、SNSにネガティブな投稿をするのは一種の自傷行為であり、ダサい。

結局慰めてほしいだけなんでしょ?よしよししてくれるママが欲しいだけなんでしょ?なんていう野次が自分の中からですら飛んでくる。

 

うん、そうだね、そうかもしれないよ。今回ばかりは潔く認めます。だから、こういうコンテンツが苦手な人は読まないでください。

私がいまこれを書いているのは、

  • はい、よしよしして欲しいんです(本音)
  • 同じ境遇の人がいたら、仲間がここにいるよ、と伝えたい(建前)

という理由に基づいた結果です。

 

でも、ダサいノー勉アピールと違うのは、「いや、君なら大丈夫だよ頑張って」と慰めてほしいわけではなく、「うん、君は無理だね諦めて」という客観的意見によって留学を中断できることを夢想しているということです。

結局、私は自分自身の意思で留学をやめることすらできないのです。

 

一つ、懸念点があります。私がこの先順風満帆な人生を送るためには、留学経験を私のアピールポイントにすることが重要なんだと思い込んでいるのですが、このような文章を公開してしまうと、その手札をきれなくなってしまうということです。この点についても、後で詳述するつもりです。

これを公開する暁には、そのような明るい人生を諦めるということですが。

また、SNSは私の所属学科の教員などとも繋がっているため、非常に不都合ということもあります。

これもまた、同様に、明るい未来を諦めているため、どうでもいいです。

 

  • いやいや留学して金を食い潰すなよ

 

留学というとどうしても金持ち趣味というイメージがあります。

これは実際そうで、今日を生きるのにも莫大なお金がかかっています。

 

すると、親の脛をかじっておいてうんたらとか、国の税金を使っておいてうんたらとか、贅沢な暮らしができているくせに不幸とはなんだとか、そういった批判が来るのも当然でしょう。

 

ま、うっせー、こちとら月15万も借金してるんじゃ黙れ!ってことですな。

借り始めた当初は返せる気でいたのですが、留学で潰れてしまったら返すのに苦労するかもしれません。しかし、この借金については私個人で背負っていくつもりです。あまり口を出されるのは愉快ではありません。一応、結婚願望はあるというつもりで生きてきたのですが、こうなると結婚には苦労するでしょうね。私もこんな文章を書く人と付き合いたくない気持ちはわかりますもの。

 

お金を使うことって、結構ストレス発散になります。

自分の身体が傷つかない便利な自傷だと思います。

 

  • お前ほんとはそんなにつらくないだろ

 

たしかに、私はまだ限界ラインの遥か手前にいます。

この文章では私の容態を深く語ることはしませんが、幸いまだ希死念慮はありません。

なので、元気なうちにこの文章を書いておこうということです。

この文章の目的は、「留学に向いていない存在」を語ることで、留学を志望する人の検討材料を増やしたり、苦しんでいる仲間に遠隔ピアサポート的なものを提供したりすることです。

そんなこと、本当の限界が来ている時期にはできませんからね。

 

  • その程度で挫折名乗んなよ温室育ち

 

ごめんなさい。

 

私よりつらいみなさんに良いことがありますように。

ごめんなさい、でも少なくとも私はあなたに良いことが起こる奇跡を信じていますよ。

 

  • 留学って本当に大変なの

 

留学が幸せな人と、そうでない人がいるということです。

極端な二元論や過度な一般化は忌避すべきですが、今回は「私は、私のこういう気質のために留学に向いていませんでした」ということを伝える予定です。

 

 

留学が楽しいみなさま、また留学にプラスの意義を見出しているみなさま、誠に申し訳ございません。

しかし、留学が万人にとって幸せなことではないということを私はいま体感しております。

留学生が増えることが正義という方がいらっしゃることを重々承知しておりますが、私は個人の精神状態を大切にしたいです。

私のような犠牲者が増えないように、留学に向いていない人には、はっきり向いていないよと伝えてあげたいです。

なので、私はこの文章の公開を断行します。

 

 

気付いたら、卑屈にも敬体を使っていた。

自分語りであるはずの文章であるにもかかわらず、おこがましくも読者を想定し、敬語で話しかけていた。

私もまだまだ他者と会話がしたいということなのだろうか。

 

本論

 

何はともあれ、ここからが本論である。

気を取り直して書いていく。

 

光差すところに翳落ちる。

薔薇の花には棘がある。

華々しい留学譚の周りには、不適合者の山が築かれている。

 

留学が楽しかった人は、ああ楽しかったと体験談を書く。

留学が辛かった人は、そんな記憶を思い出そうともしない。

 

短期留学は英語力がつかないからやめておけ、のような注意をする教育者はいるが、留学に向いていない人っていうのも世の中にはいるんだよ、という真実を伝えてくれる人はなかなかいない。

 

留学が正義、世界進出が正義、国際化が正義というこの世の中だ。その価値観を人は信じて疑わないし、だから無意識に憧れてしまう私のような被害者が生まれる。

 

いいか、世の中には留学に向かない人がいるんだ。私はそれを伝えたい。

私に続く被害者を生み出したくない。

 

また、いまどこかで「あれ、私って留学に向いていないかも」って悩んでいるそこの君。自分だけ留学に前向きになれないなんて自分は劣っているのではないか、と苦しんでいるかもしれない。

ううん、君だけじゃないよ。少なくともここに、私がいる。

 

もう何度も繰り返し書いてきたが、この文章の目的は、「留学不適合」という層の存在の発表にある。

多くの人には読まれないと思うが、留学に悩みネットに溺れた遠い誰か一人にでも届いたら嬉しい。

 

さあて、これでようやく傷の舐め合いができるぜ。ぐへへ。

 

0.留学の概要

 

ここからの話がわかりやすいよう、私の状況を記しておく。

 

  • 国立大の修士1年
  • 2023年4月からフランスに留学中

留学の制度

  • フランスの学校との二重学位
  • フランスで1年半(or 2年半)+日本で1年の修士教育を受けて学位が2つ
  • フランス独自の教育機関であるグランゼコールの1つに通っている
  • グランゼコールは学術研究より理論の実践を重んじる機関
  • 3ヶ月または10ヶ月のインターンシップが必修となる
  • 学校でも労働でも基本的にフランス語が使われる

 

1.気質

 

留学に向いていないとはどういうことか、その一つ目の手がかりを得るのに効果的な質問がある。

 

もしあなたがいま「何もしなくても良い休日100時間分」を手にしたとき、何をしたいですか

  • 想定する場所は、日本でも、どこか別の国でもどこでもいい
  • 別に100時間という数字に意味はないため、5日間でもいいし2週間でもいい
  • ただし、「(特定の)友だちに会う」などのオフライン交流は、留学中はできないためダメ

 

留学に向いている回答を挙げていく。

  • 旅行する、散歩する
  • 美術館、博物館、動物園などのスポットをたずねる
  • ショッピングに行く
  • スポーツをする、筋トレをする
  • そもそもやることがない休日はしんどい

 

これらの回答を選んだ人、とくにこれらしか思いつかない人は多分に留学に向いている要素を持っている。

次いで、留学に向いているか向いていないか五分の回答を挙げていく。

  • 外食をする
  • 料理や掃除をする
  • 本屋に行く

 

これらが五分になる理由は、最後の留学に向いていない回答の後に書く。

留学に向いていない回答とは、以下のようなものである。

  • 映画やドラマを観る、小説や漫画を読む、音楽を聴く、ゲームをする
  • 小説やイラストをかく、音楽をつくる、プログラミングをする
  • 動画をつくる、生配信をする
  • 資格試験や趣味の勉強をする
  • 副業をする

 

さて、この段階で多くの人は、アウトドアかインドアかが分水嶺だろうと帰納的推論を働かせるだろう。結果的にその分類法は多くの仕分けをカバーするが、この二分の根っこはもう少し深いところに張られている。

 

ちなみに、「留学に向いていない休日の過ごし方を望むが、留学には向いている人」は山のように存在する。それこそフランスにはフランス文学研究のために留学している人が大勢いて、彼らは小説を趣味とすることも多いだろうが、留学に向いていると判断されることもあろう。今回はあくまで、「留学に向いていない」というゴールに向かって数多存在する加点項目のなかの一つとして、休日の過ごし方を取り上げているだけである。細かい加点項目など意に介さず留学を成功のうちに収めてしまう人たちについては、関連する後の節で逐次取り上げていく。

 

閑話休題。理想の休日を試験紙に留学適性を測れる理由だが、これは簡単で、「なにをしに留学に来たの」という問いに答えやすくなるというところにある。このあと少し悪意のこもった言い方になるが、私もかつてはそうだったので許して欲しい。海外に出る人の大半は、ミーハーな気質を持っている。私は現在パリ近郊に住んでいるが、その場合なら、休みの日はエッフェル塔なり凱旋門なりルーヴル美術館なりに繰り出さないと「もったいない」と、なおいえば、そうするのが正義だと考えている人が多い。その正義を振りかざされたとき、旅行や施設探訪が趣味な人は、休みの日にどこそこに行けていて楽しいんですよ、といった会話をすることができる。また、内省のなか留学に来た意義を自分に問うタイミングが訪れたときも、「いや、休みの日に色々行けて楽しいしな」と踏みとどまることができる。

上に書いた回答たちについて、少々補足もしておこう。スポーツに関しては、マリンスポーツやウィンタースポーツは海外に有名スポットがある可能性があるし、日々のスポーツに関しては、現地の方々との有用なコミュニケーションツールとなるため留学適性ありとした。何もない休日がしんどい方々は、可処分時間を自分の意思でなにかに溶かし込むといったことがないため、友だちと旅行を楽しむなどして留学を満喫できる。外食や料理に関しては、趣向によるが、留学先の文化が自分にハマれば楽しめるだろう。本屋も言語の壁を越えれば楽しい外出先になる。

 

困るのは、私のような場合である。私もかつてミーハーだった、と書いたように、こんな私でも留学にいく前は有名スポットを訪れるのが楽しみで仕方なかった。しかし、簡単なことを見落としていた自分の愚かさを今では恨んでいる。同士に聞こう、たとえば君が首都圏在住と仮定する。デートなどの例外を除いて、休みの日にわざわざ東京のスカイツリーにのぼりにいこうなどと思うか。思わないよなあ。そう、思わないんだよ。名所を回りたいなどというのは、旅先での観光といった非日常に持つ欲望であって、日常に抱くことはあり得ないのだ。この非日常が続くのは、留学開始から3ヶ月か、せいぜい半年までで、それ以降は海外の土地で暮らすことが日常になることを受け入れてほしい。

蛇足承知でもう少しだけ自分語りをしよう。非日常の欲ということでいうと、私は国内旅行を好むし、また都内の美術館などをたずねることもある。しかしいま振り返ると、これらは行ったことのないところに行ってみたいとか、新しい企画展が気になるとか、そういった類の好奇心が私を誘った結果の産物である。つまり私は生来の旅好きではなく、知らないことを知りたいという知的好奇心の小さな一側面が投じていた幻影に惑わされていただけだったのだ。そんな夢はすぐ晴れる。海外になれたいまは、知的好奇心を「より容易に」満たせるような、小説の世界に溺れるとか高校の勉強を復習するとか、そういった趣味に戻ってしまった。

私の趣味でもう一つあるのは、なにかをつくる、ということである。上でいうと「小説やイラストをかく、音楽をつくる、プログラミングをする、動画をつくる、生配信をする」のところが当てはまる。こんな文章を休日にせこせここさえているのも、この趣味の一環である。趣味にしては日本語が下手だなあ、とか無粋なツッコミはやめてほしい。別に列挙したすべてを満遍なくやってきた人生ではない。生配信とかしてないし。さて、この趣味は留学との相性がすこぶる悪い。正確にいうと、理系の留学とは相性が合わないというのが私の忠告である。

 

ここまで、「なにをしに留学に来たの」という問いに答えやすくなる、という切り口で語ってきたが、当然こんな反論もあるだろう。「そりゃあ、勉強や研究をしに来ている」と。「だから、休日なんか関係ないではないか」と。これについて留学不適合性の論点が新たに2つ生まれる。留学の目的に関わるものであり、それぞれ次のようなサブ・クエスチョンとして眺めることができる。「あなたの勉強・研究は本当に留学しないとできないことか」「あなたの人生には本当に勉強や研究が必要か」。

 

2.留学の目的

 

この節の構成を簡単にするため、「あなたの人生には本当に勉強や研究が必要か」という問いから考えることにする。

少し異なり、少し似た問いだが、これは「あなたの人生には本当に留学が必要か」というところにつながる。つまり、私が着地したい答えは、「私の人生に留学は必要ありませんでした」というところにある。以上を念頭に、これからの文章を読んでほしい。

 

今回も問いから始めよう。

 

あなたの人生における最終目標は何ですか

 

小学生だったら将来の夢を答えるだろう。歌手、サッカー選手、総理大臣など。大学生は普通なんと答えるだろう。いい会社で自己成長して結婚して広い家に住む、とかだろうか。大いに結構。

しかし、歌手になるのが現実的でないと多くの人が諦めるように、現在持っている夢もすべて叶えることはできない、というのが私の予想である。無事大出世して円満な家族を築いて安泰な老後、というハッピーライフハッピーホームを享受できるのはごく一握りの人間だけだろう。え? みなさんのご両親はそうだって? そんなあ。

ともあれ、人生に何があるかはわからない。そこで、死に際を一度想像してみよう。そのとき、どういう自分なら後悔しないだろうか。たとえば、「大病して無職だけど家庭円満」と「ビジネスで大成功したけど独身貴族」を比べたとき、前者の人生に悔いが残るならあなたは仕事人間で、後者の人生に悔いが残るならあなたは家庭人間だ。こんなに文章量を割くこともない当たり前の話である。しかし想像した走馬灯をよくよく見てみると、もっと細かい後悔も残っていることがわかってくる。

私の場合、競技クイズという珍しい趣味をもう12年もやっているのだが、高校や大学のころに本気で取り組みきれなかったことを度々後悔する。大学にあがったとき、今度こそ時間を注ぎ込むのだと決意したのだが、結局その後クイズを離れて、同じ決意を卒業直後にするはめになっている。原因は私のなかに二律が存在していることにあって、一方は「クイズは趣味なんだから時間を注ぎすぎず、興味がある他のことを試してみたり将来のキャリアにつながることをやってみたりするべきだ」と私に諭し、一方は私に「クイズ王」への憧れを捨てさせてくれない。いつかクイズで輝きたいんだという野望はしこりのように私に残って私を蝕み続けている。一生、私を蝕むのだろう。すると、実績とも私の学生生活とも矛盾するが、私にとって人生の最終目標とは、クイズで強くなることなのかもしれないとも思えてくる。もちろん、それだけが最終目標なわけがないのだが、最終目標を構成しうる要素であることはゆるぎそうにない。

このように、人生の幹たらん仕事や家庭以外の枝葉に、たとえばクイズのような人生の目標が隠れている場合、留学というのは少々厄介になる。留学はキャリアアップにはつながるかもしれないが、クイズ力向上にはあまり寄与しない。当然見聞が増えるというメリットはあるのだが、海外暮らしという精神が安定しにくい時期はデメリットを避けた方が賢明で、日本にいればクイズ大会に行けたのにだとか、そういった類の苦しみは減らしておいた方がいいのである。

 

こうすると結局、ワークライフバランスに近いものを学生のうちから考えておくべきなのだという結論が見えてくる。将来なにがなんでも海外で働きたい人には、そりゃあ留学は莫大な財産になるし、逆に将来のキャリアアップにあまり興味がない人にとっては、留学の価値というのは比較的小さいものになるのだ。

こんな話を書いていると、結局私が留学という手札の有り難みをわかっていない愚かな人間に捉えられるかもしれない。「いや、絶対就活とかで役立つって!」、そんな声が聞こえてくる。それどころか、ここまで読んでやはり私に「君はなぜ留学に来たんだ」と問いたくなっている人もいるだろう。

 

ここで今一度答えておこう。

 

私は、留学に向いていなかったのだ。

 

留学になぜ来たのか、これは留学を決定したときの私に向けるべき問いである。かつての私は、きっとこう答える。「海外での仕事にも興味があって〜笑。」しかし、気付いてしまったのだ。私は留学に向いていないと。すなわち、海外暮らしに向いていないのだと。正直いうと、この留学が終わったらもう日本から出たくないくらい懲りてしまったのだ。

そうすると、「なぜ留学に来たのか」という問いへの答えはまるで意味をなさないことがわかる。

 

  • なぜ留学に来たのか → 海外にプラスのことを求めていた

<留学中、海外への価値観がプラスからマイナスへシフト>

  • そんなに留学が嫌ならば、なぜ留学に来たのか → 「だって、来るまでわからなかったから……」

 

仕事に有用な経験を「嫌」だと唾棄できる私を温室育ちと蔑みたい気持ちもわかる。しかしいまの私にとって、仕事は本当の最低限で良い。それだから、留学経験なんて、海外に向いてないとわかったいまは手放したい属性にすぎないのだ。

 

海外での就労、多国籍企業への就職、外国語を活かしたキャリアアップ。そんな目標を維持できている人が羨ましい。そう、私みたいなタイプの人でも留学の目標がしっかりしていれば、希望を持って人生を走ることができたはずなのだ。しかし、私はもう海外に疲れてしまった。フランス語はもちろん、英語すらもはや話したくない……。

 

海外就職の瓦解。

結局、私は井の中の蛙でいることに我慢できなかっただけ、ただ一度大海を見たかっただけの人間で、実際に外に住む資質も気力も根性も持ち合わせていない人間だったのである。そういった意味では、留学自体は後悔していない。しかし、外をみるだけならば、半年で十分だった。

 

ここで一点、しかし私が大学院生ならば、海外での学びは役に立つのではないか、という疑問が生まれてくるだろう。すなわち先ほどの「あなたの勉強・研究は本当に留学しないとできないことか」という問いに答えるフェーズが訪れたということである。

 

私のいまの無気力は、このフェーズに起因する部分も大きいため、実に重要な部分である。

 

私たち日本人は、どうも小さいころから、海外はすごいんだという価値観を刷り込まれているように思われる。ハーバード大学だとか、そういうアメリカとかの大学はなんかしらないけど素晴らしくて、ほんとうに優秀な人は海外に出ていく、そんなイメージがどうしてもある。

これは半分正しくて半分間違っているんだよ、と小さいころの私に出会えたら教えてあげたい。

 

いまの私の認識としては、「留学が良い選択といえるかは、かなり分野や専攻に依存する」というのが一点と、「そのうえで留学先の国は慎重に選ぶべきである」というのが一点である。

まず前者に関しては、他分野のことはあまりわからないという上で、自分の研究を考えたときに師事したい先生が海外に多いなら海外に行くべきだし、そうでないなら日本で不足はない、というのが本意である。当たり前の話である。なんでもかんでも海外だけが優秀とは限らない。日本だって立派な先進国である。

特に、修士課程などでの留学で、研究以前の座学の積み残しが多くある場合、そういう分野の場合はなお日本で学んでも良いのでないかというのが私の素直な気持ちだ。結局、母語での学習スピードには勝てない。日本語のテキストで学べる可能性、日本語のゼミで学べる可能性が残されている場合は、海外に行くよりも日本語でしっかり学んだ方が、アカデミアでの将来に向けてもはるかに有用なのではないかと思う。

 

さて、この話、そしてこの後の「そのうえで留学先の国は慎重に選ぶべきである」という話を掘り下げるにあたって、一度私の留学先の話をしておこう。

 

先に結論を話すならば、「エンジニアの諸君。フランスには来るな。」という話である。

 

フランスの高等教育の制度は少々特殊で、大学と並立してグランゼコールという存在がある。現代では例外も少々あるが、大元の歴史と思想に基づけば、将来の官僚や産業界の幹部層を育成するのがグランゼコールであり、彼らが行う「理論の実践」に直接は結びつかない学術研究をするのが大学である。そのため、日本でいう理工学部、法学部、経済学部などはグランゼコールに入っていて、文学部などが大学にあるというイメージだ。当然国家はグランゼコールを重視するし、将来の実入りが良いのもそちらの卒業生のため、「入グランゼコール」競争は苛烈を極めている。現状、エリート層はグランゼコールに、非エリート層は大学に、というのがフランス社会の認識だ。

 

さて、このグランゼコールというのはフランス特有の制度なだけあって、教育の流れも独特だ。日本の共通テストにあたるバカロレアを終えた高校生は、まず「プレパ」と呼ばれるグランゼコール準備級に入る。プレパの多くは名門高校に併設されていて、日本でいう大学教養レベルの学問を学ぶ。このプレパはグランゼコールとは独立した教育機関で、グランゼコールに入るにあたっては別途入学試験が設けられている。こちらの試験の方が卒業校に関わる本命試験なので、プレパはいわば公的な予備校といった立ち位置である。共通テスト後に予備校でせっせと2年教養科目を学び、それらの科目を含む日本よりやや高度な範囲で入試を戦うと考えればよい。

無事に合格できた場合、その後は3年制のグランゼコールに通うことになる。話が逸れるが、落ちたら「大学行き」らしい。フランスにおける大学の立場の低さよ。さて、グランゼコールに入った1年生であるが、私の留学先などの場合だと、まだ専門科目を学べない。大学教養の必修範囲、わかりやすくいうと微積や線形など、は超えるが、各専攻に行く前に知っておくべき範囲、すなわちフーリエ変換だとかPythonでの主成分分析だとかをここで学ぶことになる。そして2年生になって念願の専門科目である。

 

ここで1つ問題がある。フランスは大学が3年制なので、バカロレア(共通テスト)のあと、大学3年+修士2年の5年で修士号が貰える年になってしまう。ということは、プレパ2年+グランゼコール3年の5年を終えた人たちにも、平等に修士号授与ということになる。

それでは、日本の大学院修士1年からグランゼコール編入する場合は、どのタイミングで合流するのだろうか。正解は、修士号をあと2年でもらえるグランゼコール2年生の最初である。

グランゼコール2年生といえば、やっと専攻に入ったばかりのピヨピヨひよこたちである。彼らに施さないといけない教育といえば……。

 

結果、私は学部3年で習ったような内容をもう一度習い直し、謎のお気持ちレポートを量産し、卒論の練習でやったようなプロジェクト演習を再びやらされている。おまけに、この歳になっても体育や語学や一般教養科目が必修で付いてきている。つまらねえ〜〜〜。

 

グランゼコールに行って学びがありました、って言っているやつ、結局日本であんまり勉強してなかっただけなんじゃないの? って思います。正直。

もちろん、私にも未修の内容はあったけれど、それも発展内容というよりは分野が少しずれているというだけで、ネットで日本語の講義資料を漁ったら容易に学習できた。この時代、フランスでしか学べないことなんてない。いやもちろん、高度に専門的な留学なら話は別だが、グランゼコールの2年生でしか学べないことなんて、一つもない。

日本では講義ではなくて研究室のゼミで教えられている内容が、しっかりと万人向けの講義になっているのがありがたい、と力説している同級生がいたが……。結局、そういった内容も、フランス語で30時間くらい授業受けるより、日本語のPDFを10時間くらい読む方が効率よく修得できるのだから、留学というのは至極タイパの悪い営みだ。留学するか迷ったら、留学先の学校のカリキュラムをネットで調べて、その授業題目と似たタイトルの研究室ゼミ資料を日本語で探して、それを読み込んでみるとよい。読了できたら、留学で得られるだろう学びは全部終えたことになる。

 

先輩方はそれを教えて欲しかった……。

 

いま語った話は、私が工学徒というのも大きい。

 

それこそ、フランス文学の研究だとか、フランス語の研究だとかをする場合は、当然フランスに留学するべきだと思う。

そして、語学の授業を受けるなかで気付いたが、歴史などの話でも、ヨーロッパにいないと感じられない観点はある。そういった意味で、フランス留学の価値が上がることもあるだろう。

 

グランゼコールの学生は優秀だと勘違いしている日本人も多い。フランスのエリート層が入る少人数の学校、しかも入学試験は教養の内容も入り苛烈……といったイメージがそういった幻想を生み出しているのだろう。

私にとっては、どうしても眉唾物の話にしか思えない。あくまで私を基準とした相対的な議論にはなるが、いまのところ試験科目の私の成績は「中の上〜上の下くらい」である。日本でもそのくらいであった。フランスの試験は当然フランス語で、相当の語学ハンデがあるため、結果としてグランゼコールの学生は日本の学生に劣るということになる。

教養科目も入試に含まれる分、数学は得意という噂も聞くが、私が受けたなかで一番理数系っぽかったオペレーションズ・リサーチの試験なんかは偏差値78.8相当の点数がついたので、どう考えても嘘だろう。

 

ということで、結論。

留学の目的に関して、海外生活が途中で嫌いになったため仕事に関する目的は全て霧消したし、勉強は日本で十分だった。

 

ちなみに、グランゼコールは少人数校のため図書室がマジで小さく、自習に向いていない。アメリカなどと違って早く閉まるし、休日も空いていない。

 

3.留学を乗り切れる人たち

 

ここまで読んで、「自分はそんなことなかったけどなあ」と思う人も大量にいるだろう。

そのような人たちは、以下のいずれかに当てはまらないか確かめてみてほしい。

 

  • 幼少期に海外経験がある
  • 語学が帰国子女並み
  • ほどよく自己肯定感が高い

 

順に説明していく。

 

まず、海外経験がある場合、これは特殊すぎる。すでにあらゆる障害に順応している可能性が高く、また日本で当たり前だったことが欠けていても、そこまでストレスを感じないことが多い。速やかに留学するべし。

 

続いて、語学が帰国子女なみに堪能な場合。この場合も、周囲に早く馴染めたり、その他のストレスを上手く回避できていたりして、結果余裕で耐えられることが多い。

実際、多くのケースで留学生は語学に堪能なため、このパターンでうまくいくことが多い。

私の場合は、授業が全フランス語というのもあり、入学に必要な英語の基準がガバだったため、なんか留学できてしまった。私くらいの語学力の人間は入学審査の段階で弾いとくべきである。

補足しておくと、私のプログラムは少々特殊で、日本人の場合、9月入学の前に、4月から5ヶ月間語学学校でフランス語を学べることになっている。私は「フランス語話せるようになるなんてお得じゃ〜ん」とほいほい釣られてしまったが、5ヶ月では当然フランス語が帰国子女並みになることはないため、こんなプログラムに騙されてはいけない。

 

最後に、ほどよく自己肯定感が高いケースだ。

いわゆる「普通」の家庭環境で育った場合は、大抵はここがしっかりしているため、留学耐性があると言ってもよいだろう。

私はというと、こんな文章を世に放ってしまうほどの自己承認欲求のおばけで、というのも根本に、誰かに愛されたいという願いを抱えた人間である。誰かに嫌われたくないと言った方が正確かもしれない。それだから、他の人の顔を必要以上に伺ってしまう。

これが留学のどこに効いてくるかというと、他の留学生や現地生とのコミュニケーションである。

私の留学先の学校は留学生が多いという触れ込みだったが、基本的には以下のような構成である。

  • 旧フランス植民地圏(フランス語が堪能)
  • スペイン+ラテンアメリカ諸国(スペイン語で一大派閥を形成)
  • その他ヨーロッパ(言葉が似ているため半年ほどでフランス語が堪能に)
  • アジア(ぼっち)

そのため、生き残るにはどうにか周りの人とコミュニケーションをとっていかないといけない。

しかし、どうですか。

たとえば演習のために2人組を組まないといけない状況で、スペイン語話者や、ましてやフランス語話者にずかずか話しかけに行けますか。

相手からすれば、私みたいな相手と組めば、意思疎通にかかる時間は2倍、いや3倍……。私が出力する提出物のフランス語も、クオリティが2分の1、いや3分の1……。正直私と組むのは時間の無駄で、百害あって一利なしだ。そんな、相手に不幸をもたらすような選択、私にはできない。

こんな私に対し、「いや、留学に来たんだから、生き残るためには他の人に声をかけていかないと」と反駁できるあなた。それが、自己肯定感が高いということである。あなたが留学適性を備えているということである。

 

グランゼコールは実践志向のため、やたらとチームを組ませたがる。単純なレポートですら、すぐ2人組だ。そしてそのたびに、上の壁へとぶちあたる。本当に私にとっては向いていない留学である。

 

注意点として、この問題は学生だから生じる問題である。仕事で海外にいる方々は、相手もあなたと作業をするのが仕事なのだから、堂々としていればよい。しかし、こと学生の留学においては、レポートを書くための相方は、なにも私と話して時間を溶かす必要はないのだ。

 

中学の卓球の授業を思い出す。

私はそもそも運動音痴なことに加え、小学校や児童館で一切卓球をやったことがなかったので、中学の卓球の授業で、当たり前のようにラリーを始めるまわりについていけなかった。私と組んでしまったら、空振りかホームランを繰り返す私に徒に時間を溶かすだけになるだろう相手に申し訳なくなって、結局、卓球の時間は先生が見えない端っこの方でひとり、ラケットでボールをリフティングみたいにぽんぽんついて遊んでいた。

 

4.可処分時間

 

ここからは、細々とした留学に向いていない要素を挙げていくコーナーになる。

一つ目は、可処分時間についてである。話としては、「小説やイラストをかく、音楽をつくる、プログラミングをする、動画をつくる、生配信をする」というような趣味と留学との相性が悪い、という話題の掘り下げになる。

 

定義はさまざまであるが、1日の時間から、睡眠や食事など生理的に必須な1次活動の時間と、仕事や家事など生活に必須な2次活動の時間を引いた残りの時間が、自分で自由に使える可処分時間とされる。この時間で人間は、休養、交友、趣味を行うわけである。この時間の多さがメンタルヘルスに直に効くのは火を見るよりも明らかだろう。

 

さて、留学というのはこの可処分時間を減らす試みである。なぜならば、学校側はフランス人を念頭に、十分な可処分時間が取れるようにスケジュールを組むからだ。語学ハンデの影響で課題や復習に時間がかかる留学生の可処分時間は相対的に削られる。

 

こういった状況を耐えられるケースは、以下のように挙げられる。

  • 可処分時間が少なくても困らない
  • 学業を可処分時間として考えられる
  • 学生生活に可処分時間を見出せる

 

第一のケースは、可処分時間を割く趣味がないなどの理由で、最低限休養する時間を確保できればよし、という人間である。日本人にはこういう人間が多い気もする。一つだけフランスを褒めておくと、私がメンタル相談をしたときに、私からこの話題を出すわけでもなく先方が可処分時間に別のことをするのがメンタルケアに必須という話をしてくれた。大変に理解がある。

第二のケースは、もともとの可処分時間の使い方に学習が入っているために、課題や復習が自由時間扱いになるケースである。私も自由時間に学習するくちではあるが、どうも課題となると強制感が演出されてしまい、2次活動扱いになる。留学に向いていない。フランス語を可処分時間に学習できる人たちはぜひフランスを訪れるべきだと思う。

第三のケースは、料理や交友などが趣味で、学生生活の中でそれらを補えるケースだ。料理は言わずもがなであるが、特に重要なのは交友の方である。たとえば、暇な日に友だちと飯に行こうという発想になる人は、そもそもの可処分時間の使い方に交友が入っていると考えられる。そのため、授業間の休憩時間や放課後のちょっとしたおしゃべりに可処分時間を見いだすことができ、その不足を補うことができる。

 

みなさんは友だちを多く欲するタイプですか。

 

交友の話に関連して、私は、友だちは本当に仲が良い数人で良いと思うタイプである。そういった人たちとは定期的にご飯を食べたりしたいと思うし、私と遊びに行ってくれませんかお願いしますと頭を下げたくなる気持ちで満たされている。友人たちが本当に好きだし、その人ありきで私は生きる。

そのため、矢印の向きは「特定の友人といたい→そのための時間が湧く」となる。

一方、矢印の向きが「なぜか時間が空いている→誰でもよいから誰かと遊びに行く」になる人たちがいる。

私としては、なぜか空いている暇な時間は、本を読むとかこの文章を書くとかそういったことにあてたい時間である。感覚としては、好きな友人との予定は能動的に最優先扱いになり、可処分時間の枠外で消費される、というものである。そのため、通常の可処分時間には入って来ず、あくまで空いている時間は趣味に費やされる。

なぜか空いている暇な時間に、遊びの時間をがんがん入れに行く人は、通常の可処分時間に交友が入っている人だろう。そのため、学生生活のなかのおしゃべりで精神を回復できるということである。

 

このねじれを考察した結果、畢竟、私がひとりっ子だったのが悪いというところにたどりついた。しかも、思春期に鍵っ子であるひとりっ子だ。家に一人なので、当然人と話すことは「外の用事」になる。大好きな友人らと話すのはもちろん楽しいが、それはそれであり、一人の趣味である「内の可処分時間」とは相容れない。

家に同年代の兄弟がいる、または両親に家の中で愛されて育った人たちは、人と話すことが「内の可処分時間」になるのだろう。

人間、「内の可処分時間」が必要なのは共通として、それを会話で満たせない私は、どうしても帰宅後に一人の趣味を消化しないと生きていけないから厄介なのだ。

 

話が逸れに逸れるが、ここで一つ謎が解けたので書いておく。

孤独に蝕まれている私は、よく夜電話をしたり遅くまで遊んだりしていたのだが、その後どんなに眠くても、一人で30分ほど活動してから寝ていた。だから電話が私からの寝落ち電話になったことはなくて、大抵は相手の寝落ちを確認して、その後一人で漫画を読んだりしたあとで寝ていた。

私が特段夜行性のためにそうだったのだと考えていたが、いま思うと、寝る間際、1日を終わらせる前に「内の可処分時間」を満足しておく必要があったのだという結論に至る。

孤独を癒しに人に近づくが、最後は孤独でないと終われない。一方通行のヤマアラシのジレンマである。

 

私は結婚願望を持っているのだが、こうなると結構難しいなあ。

別居婚がしたい、別居婚週末婚もしたい。

 

結婚相手との会話は、さすがに「内の可処分時間」に入ることを願う。

 

ここまで読んで、そんなにいうなら「私」を今後遊びに誘うのはやめておくかあ〜と思ったあなた、そんなことはないので思いとどまってほしい。

まず、先ほども書いた通り、好きな友人との予定は能動的に最優先扱いになる。そして、この好きな友人には片想いの友人も含まれる。私には、「もっと仲良くなりたいなあ〜」という相手が無数にいる。ここまでの文章で察される通り、「私が話しかけたら迷惑かなあ」と考えてしまうたちなので、自分から誘うのが非常に苦手なのだが、誘われたら、そりゃあ嬉しい。

さらに、いままであまり遊んだことのないみなさん、当然みなさんのなかに将来の大好きな友人がたくさん眠っていると思うので、みなさんから誘われると大変嬉しいです。踊って喜びます。

 

しかし、留学というのは難儀で、私は途中で海外が嫌いになってしまったので、ここで友だちを作っても、帰国後また会うことはないだろうなあと考えてしまう。つまり、フランスで友だちを作ることは、相手の時間を無益に奪うことであり、そして相手に大変失礼なことなのである。つくづく、留学に向いていない。

 

私は、とんだ社会不適合者である。労働にもまるで向いていなそうだ。

とはいえ不思議なことに、今までの日本の生活では、こんな可処分時間だとかいうことを気にしたことがなかった。

つまり、もしかすると、「日本語で作業をする」は可処分時間に入っているという可能性がギリギリある。こんな文章を書くことが可処分時間に入る人間である。

さて、私は日本での労働に適合できるのだろうか。

 

5.勉強スタイル

 

作業、という単語が出てきたので、次は勉強スタイルについてのコーナーである。具体的には、勉強の仕方と勉強時間についてだ。

 

先に断っておくと、ここから先はイキリと捉えられかねない内容や「お前それはコソ勉を黙ってるうざいやつだろ」と判断されかねない内容を多く含んでいる。

しかし、私は事実しか書くつもりはないし、ここで話を盛って糾弾されても私の自己肯定感がさらに下がるだけなので、どうか無感情で、客観的な立場で読んでいってください。お願いします。

 

【追記】

この章には、私の自己愛が煮出されています。

しかし、このパートはこの記事全体にとって重要な部分なので、残します。

文に私の主観を汲みとって、私の人となりを理解してくださる人間が現れることを切に願います。

 

私は圧倒的な一夜漬け人間だ。いや、一朝漬け人間とした方が正確かもしれない。

夏休みの課題は8月31日にやる人間だ。いや、始業式のあとの、本当の提出期限の直前にやる人間だ。

そして、私は授業を聞くのが苦手な人間だ。

 

ここでもう一度断っておくと、私はこのスタイルでここまで来ている……

自分から言うのはすごく嫌いだが、一応東大に入ってその中でそこそこいい成績で卒業した、というところまで来ている。なので、このスタイルを学業に関して変える気はもうあまりないし、私より勉強が得意な人にしか口出しもされたくない。

私の友だちの多くは私より勉強が得意なので、みなさんには私をけちょんけちょんに殴っていただきたいです。

 

最後の文章から遡っていく。

私は授業を聞くのがとても苦手な人間だ。小学校から大学まで、お金を払って行った塾や、特に面白かった駒場の講義を除けば、授業はほとんど聞いてきていない。

その理由の根本にあるのが、先生の話のスピードが、私の理解のスピードより速いことがない、という事実である。正直言うと、授業というのは明らかに時間の無駄なのだ。どんなに難しい内容であっても、口を使って話すスピードに限りがある以上、無益に時間を消費してしまう。直近の記憶と感覚でいうと、東大の授業は大体105分13コマで、23時間弱。私がスライドや教科書を精読するのにかかる時間は、13コマ分あわせて4時間くらいで、暗記系の科目だとこれで優が取れる。計算系の科目だと問題演習が追加で3時間ほど必要で、大抵途中でめんどくさくなって良か優か、くらいのところに落ち着く。もちろん、東大には超人が多いので、これでも時間をかけすぎと馬鹿にする人や、優上以外に価値はないと弾ずる人もいるだろう。しかし、私は過剰な努力が嫌いなため、これでよい。すると、授業が22.75時間。勉強が最大7時間で、少なく見積もっても、授業を受けると3.25倍の時間がかかることになる。

私がこの事実に気づいたのは小学生のときだったが、当時は自然に受け入れていた。小学生なんて世界の中心が自分だと信じ込んでいるので、授業を聞かなくてもテストで100点なのはテストが簡単すぎるからであって、それが当然だと思っていたし、授業時間は教科書の先の方を勝手に読んだり、ノートに落書きをしたりして時間をつぶすのが当たり前だと思っていた。

中学受験の塾に入ってしばらくして、はっとした。周りの人は授業後に質問を聞きにいっていたが、私は自分でテキストを読んで問題を解いて解説を見て丸付けをすれば、それで理解ができて、質問をする必要が全くなかったので、講師室にできる長蛇の列の理由がわからなかったのだ。塾の授業も、算数なんかは問題演習がメインだったため、勝手に問題を解き進めていれば授業を聞く必要がなかったし、授業中に宿題も解き進めていたため、課題を家でやるのがめんどくさすぎて落ちこぼれる、ということもなかった。おかげで、歪な成功体験を得てしまう。

中学に上がると、徹夜という手法を覚えた。私が通っていた私立の中学は、基本的に先生独自のプリントを使うスタイルで、教科書を先読みしていくという小学生のときの方法が使えなかったためだ。授業は当然聞けず、というか聞かずに育ったため、中学1年生が自発的に「授業を聞こう」なんて思えるはずもなく、結果試験前に授業ノートやプリントの穴埋めが友人同士で共有されるのを待つことになる。授業中は友だちとしゃべっていた。当時俺たちのせいで授業が聞けなかった人たち、ごめんね。ノートの共有がなされるのは最後の授業が終わってからのため、当たり前のように試験は一夜漬けになった。当時の私のスピードだと、例えば社会科の科目はプリントを2時間精読すると90点、くらいのペースだった。中高一貫進学校ということもあり、平均で90点弱あれば東大に合格するラインだったので、それでよかった。実際は友だちのプリントの写真から書き写したりしないといけないため、1科目に3時間くらいは必要で、1日2〜3科目あったので、勉強時間は一晩6〜9時間。帰ってきたあと仮眠して夕方からゆっくり勉強を始めれば十分に間に合う量だった。実際はノートが手に入らなかった科目や興味のない科目を少しサボっていたので、平均で85点前後。1学期中間は初めての先生もいるため加減がわからずやや成績が良くて、徐々に試験の傾向をつかんできて、いつも通りの成績に収まるといった具合だった。ここで、徹夜の成功体験を得てしまう。

高校に入ると、授業中に寝るということをおぼえた。これにより、夜型が強化され、深夜の作業が可能になり、夜電話をはじめ、段々といまの私が形成され始める。また、私の高校は放任主義で、特に私の学年の教師陣は「受験は勝手にやっておけ」という思想だったため、高2や高3になると、徐々に受験に効く授業と効かない授業がはっきりするようになっていった。結果、数学や英語を内職するということをおぼえた。短期記憶が得意な私といえど、範囲が膨大な受験は厄介な難敵である。ということで、授業中は元気があったら内職、なかったら睡眠という現在のスタイルに至った。定期試験に関しては、受験に効く授業が内職で学んだ内容で済ませられるようになったため、徹夜をする必要があまりなくなった。実際は、癖で2時〜3時くらいまで勉強し、あとは電車と試験間の休み時間に任せる、というスタイルでなんとかなった。こうして、徹夜をせずにさぼることの成功体験も得てしまう。

ちなみに、大学受験にあたっては、前述の通り教師陣が「受験は勝手にやっておけ」という思想だったため、塾に通っていた。我が家が裕福だった時代の恩恵である。こちらの塾は演習と解説をほどよく行うスタイルのため、そこまで飽きずに授業を聞くことができた。また、当時はこの塾のスピードが最速だと信じていたため、効率が悪いなどと思いもしなかった。ここでの後悔が一つある。中学受験のときに質問をすることを体得できなかったため、結果講師との関係が希薄になってしまった。よく質問をする生徒は、講師とのコミュニケーションのなかで新しい学びを得ていく。しかし、私は授業のみで満足していたため、その学びを得ることができなかった。

そして迎えた大学受験の本番であるが、落ちてしまう。ざまあの斉唱ポイントである。原因は本当に色々あるのだが、ここまで書いたことの伏線回収をする形で振り返ってみる。まず定期試験を85点前後で満足していた話であるが、中学の時点で、一夜漬けで満点や1位を取ることは不可能ということに気が付いてしまい、以降、将来なんとかなるだろうという勉強量で妥協するようになってしまった。中学受験のときはとにかくいい成績が欲しかったが、中学以降の私は、過剰な勉強を無駄な努力と決めつけ、だらけきってしまっていた。反抗したくなる年頃だったというのも大きい。それに慣れて以来いままで、勉強に本気を出せなくなってしまった。低きに甘んじてしまう人間の恐ろしさである。東大受験に関しては、模試もA判定が出ていてセンター試験の調子もよく、過去問もそこそこだったので、余分な努力をしないで合格を狙う私には大きな油断が生まれてしまっていた。加えて、直前期に残されていた勉強が数学や理科をセットで解くことで、東大理系というのはそれを1科目解くだけで2時間半、当時の私の勉強法だと、復習まで合わせると1セットに5時間かかる重労働だった。一夜漬けという単発的な努力しかしてこなかった私は、そんな大変なことを毎日こなすことができず、後回しにし、後回しにし、結局過去問のセットはあまり解けなかった。以降、言い訳です。最終的に、大緊張のなか、理科で計算ミスを確認しすぎて時間配分が乱れ大失点、結果英語で上振れしないと厳しいことを悟ってしまい英語で手が震えまくって大失点。この英語の点数が本当にひどくて、大不合格に至ってしまった。

浪人にあたっては、この反省を活かすことにした。まず、数学や理科を大量に解くことは私には不可能と判断した。続いて、計算ミスが怖すぎる人間なので、理数系の科目は減らしたかった。最後に、まあ短期記憶得意だし、その積み重ねで社会はいけるのでは、という目論見があった。ということで、文転を決めた。理系のときは努力量を減らしたくて倫政を選択していたため、改めて日本史と世界史を始めた。同志のみなさんに伝えておきたいのだが、日本史と世界史は想像をはるかに超える量があるので、1年で終わらせることはオススメしません。こうして予備校生活を始めるのだが、ここで気づいてしまう。授業って時間の無駄だな、と。それまでは小学校からの惰性で授業を聞いていないだけだった、正確にいうと選択科目に時間の無駄と言うことはあっても、将来に有用な科目(副教科含めて)を無駄だと感じたことはなかったのだが、予備校で初めて授業は効率が悪いと悟った。その理由は2つあり、1つは浪人のストレス発散として本屋に通い参考書オタクになってしまったこと、もう1つは予備校にはお金を払って通っていたため退屈な予備校の授業を聞かざるを得なかったことである。私は社会科が未修であったため、演習メインのクラスではなく、講義メインのクラスに入ることを決めた。すると、予備校というのは何らかの欠点を抱えて落ちた人の集まりであるから、各科目相当の基本から始まる。特に、理系出身の私にとっては、数学は退屈で退屈で仕方がなかった。そんな中、本屋で参考書を物色すると、当然こう真理にたどり着く。明らかに自学した方が速いぞ。悟りのあとの私は、はじめに書いたとおり、「授業は時間のムダ」を掲げていまに至る。そうはいえど、予備校にはお金を払っていたから一応ノートだけは取っていて、そのお陰で合格できた側面は絶対にあるので、予備校には感謝している。タイパがいいと認めたくはないけれども。

ここで少し逆行が入る。大学に入ってからは、好きな先生の授業を選んで取れたので、人生で一番授業を聞いた時期が続いた。冒頭の「特に面白かった駒場の講義」がこれにあたる。しかし、直後に例の時代が到来する。大オンライン時代である。基本的に、すべての授業がスライドベースで行われるようになった。そうしたら授業、聞くわけないよなあ。あの時期は過半数の大学生がそうだったのではないかと思う。授業中他のことをしていても何も問題がない(オフライン時代の内職と同じなためルールに反するはずがない)、そして配布資料さえ読めば試験も問題なし。これで授業を聞ける方がおかしいだろう。こうして、「授業聞かないくん」の最後のピースがハマった。

 

長い自慢話にお付き合いくださり、ありがとうございます。

ここまで読んでくださったあなたのことが私は大好きです。

 

さて、この長い文章をくぐると、私の授業を聞かない姿勢がいかに強固に練られたものかがわかるだろう。

 

しかしこの勉強スタイルが、致命的に留学と合わないのである。

 

まず、外国語だと一夜漬けというのが非常にやりにくい。純粋に読むスピードが落ちるため、「一夜」で終わる勉強量ではなくなるのである。また、目で覚える際、どうもアルファベットの羅列は頭に引っかかりにくい。たとえば、「スライドの下部は左折についての説明だった」ということを思い出すとき、漢字なら「左」が浮かんだ時点で復元できるが、フランス語だと「g」が浮かんだところで、「gauche(左)」にたどり着くのですら時間がかかる。そもそもアルファベットが26種類しかないので、頭に残る特徴というのが生まれにくい。そして耳で覚えようとしても、母語に比べてやはり時間がかかる。日本語の文章ならば小学校の時点でさえ学芸会の台本程度の量は覚えられる、というのはみなさんに首肯いただけるだろうが、外国語になると、意味は頭に残っても文章を頭からすらすら暗誦というわけにはいかない。すると、試験の記述問題では単語が思い出せず詰むのである。

こう書くと、なら今こそ授業聞きなよ、と言いたくなるだろう。しかし、長年の習慣である。理性が律したところで、いまさら私の肉体は言うことを聞かない。まして、外国語を集中して聞くのは相当の体力を消費する行いである。私の今のフランス語力は、TOEFLでいうと70点程度。そんな聴解力でネイティブの早口学者の講義を6時間とか8時間とか聴き続けたら、カラカラに干からびてしまう。共通テスト模試が全部リスニング試験くらいのボリュームぞ。そして何より、まだギリギリ、授業を聞くよりスライドを読んだ方が速いのである。

続いて、要領のいい一夜漬けのコツに関してである。ここまで大きな嘘を一つついていて、私は授業を完全に聞かないというわけではない。もちろん9割は聞かないのであるが、残り1割は授業進度を把握したり、同級生との話のネタを探したり、といった目的で聞いている。意識としては、内職をしながらのながら聴きである。内職自体にもそんな集中力続かないしね。この1割が重要で、ここを組み合わせて授業の大まかな骨子を掴むことで、後の一夜漬けの効率が格段に上がる。つまり、「なんとなくこういうこと抑えればいいんでしょう」の全体像を予め見ておくことが、前夜の能率を上げるということだ。しかし、フランス語はまだ学習歴が浅いため、このながら聴きというのが致命的にできない。そのため、全体を俯瞰できないままスライド読みに突入することになる。当然おぼえるのに時間がかかるし、ヤマも張りづらくなってしまうのである。

 

そして、もう一つ大きな問題がある。根本のフランス語力、つまり語学についてなのだが、これが致命的に私の勉強スタイルと合わない。たとえば、数学。原理を理解する。問題への応用の仕方をおさえる。これで終わる。たとえば、歴史。ストーリーを理解する。固有名詞は、地理や家系との関連付けでストーリーとともに頭に入る。これで終わる。実に効率がよい。しかし、語学は、いつまで経っても、熟語やコロケーションを憶え続けていかなければならない。ボキャブラリー・ビルディングなくして語学なしなのだ。実に「コツコツ型」の学びである。声を大にして言っておこう。高校で一番勉強したくない科目が英語だった人たち、留学するべきではないですよ。

 

結局、「努力型」の人間が留学に向いているのであって、「一発型」の人間は留学に向いていないということなのである。留学先では、「コツコツ授業を聴く」が、ほんとうは効率がいいのかもしれない。それができない身体を育ててしまった私たちは、大人しく日本で暮らそう。

 

間章.いま伝えたいこと

 

一応、本格的に完成しているのはここまでなのだが、後半部を書くのに先んじて、いま記事の公開にあたって書いておきたいことを記しておく。

 

先日、旧ツイッターで、「MBTI診断で仲介者になるような選択肢を選ぶ人はまずい(大意)」というようなポストをみた。ちまたに出回っている診断は本当のMBTI診断ではないし、心理学的根拠も怪しいので信用するべきではないが、私はあえて書きたい。

「件の16 Personalities診断で仲介者(INFP)になる選択肢を選ぶ人は、留学するべきではない」

ここまでつらつらと書いてきた「自分時間を好む」「創作趣味」「人見知り」「自己肯定感が低い」などはすべて、「仲介者を選ぶ人間」の特徴である。私がMBTI信者なら大手を振ってこの論を広げていただろう。

 

続いて、本当は公開前に書きたかったことたちである。先ほど、「後半部」としたところにあたる。

じっくり書くより公開を優先したいので、箇条書きにて紹介する。

 

6.食

  • 実際そんなに気にならない
    • 他のことの方がメンタルに来る
    • 食だけなら乗り切れる
  • 「朝ごはん、パンよりご飯派」は留学向いていない
    • 私は日本時代、三食ご飯だった
    • さすがにパンに慣れるのは不可能だった
  • フランスにコンビニがない件
    • 先進国なのにコンビニがない
    • 自炊に毎日時間が吸われる
    • さすがに疲れている日などはストレスになる

 

7.コミュニケーションの取り方

  • 日本語は自在にあやつれる
    • 私は言葉遊びが好き
    • 世代のあるある(アニメとか)を会話に入れるのも好き
  • フランス語ではどちらもさすがにできない
    • ただ口から幼稚園児なみの文を発するだけ
    • これ、意外につらい
    • 自分っぽい話ができないのがストレス
  • 留学前に自分のLINEを見返して、(言葉遊びや冗談などが)外国語に訳せるものかどうかを確認するべき
    • できない場合、留学に向いていない

 

8.本当に学びたいことを知っておこう

  • 私は理系で就職したかったが、おそらく学問としては文系に興味があった
    • これはどんな本が好きかでわかる
    • 私のKindleには言語とか歴史とかの本が多い
  • 日本語だとどんな分野でも苦なく学べてしまうため、これが表面化しにくい
    • 実際、学部時代の土木の内容は非常に面白かった
  • 外国語だと、よほど興味がないと文章を読もうという気になれないため、一番好きなこと以外学びにくい
    • フランス語も、文学評論とかはギリ面白く読める

 

9.結局なにが一番つらいのか

  • パッシブな味方を感じづらいこと
    • 日本では、学校に行けば周りの人に気軽に話しかけられた
    • =日本語はすらすら通じるので、アクティブな努力をしなくても友だちになれる
    • =パッシブな味方にあふれているといえる
  • フランスでは、相当頑張らないと会話できない
    • =話せば良い人でも、そこに至るまでアクティブな努力が必要
    • =パッシブな状態では、安寧を決して得られない

なんでもない授業が、耐えがたくつらい。苦しい日は、日本語での会話もつらい最近である。フランス語で話すことの心労は、計り知れない。計ろうとすると、う〜ん、シャトルランを複数回やれって言われるくらいのストレスである。運動が得意な人には伝わりづらいかな。経験したことはないけれど、10万円くらいするものを壊してしまって、怒られるのをわかっていながら、それを打ち明けにいくくらいの心労である、たぶん。

なんというか、いちいち心構えをしなければいけないのがつらい。日本語だったら、どんなに眠くても、思考を介すことなく口からペラペラと言葉が出てくるが、フランス語の場合はまだ、いちいち傾聴しいちいち思考しないと会話ができない。相手に伝わらないこともある。そのたびに、自分の口にバツ印を付けられているような気分になる。こんな私と話さないといけないなんて、相手はかわいそうだなと同情してしまって、さらにつらくなる。話している間、常に否定的な感情が私を襲う。帰りたい。早く、日本に帰りたい。こんな気分になる国に、あまり長くいない方がいい。授業中、ずっとそんなことを考えている。

体育の授業も誤算だった。フランスではこの歳になってもスポーツが必修で、それ自体は身体のメンテナンス的には願ったり叶ったりだったのだが、種目選択で失敗した。ボルダリングだと思って選んだ科目が、実はリードクライミングで、常に2人ペアなのだ。壁が4〜5mのボルダリングと違って、リードは壁がありえんほど高くて高所恐怖症の私には地獄だし、地獄というのもフランス語では伝えられないし、本当に厳しい。これが週1で回ってきて、そのたびにうつが加速している。

 

10.なぜ留学をやめられないのか

  • 損切りが下手
    • さすがに留学をやめると損しそう
    • せっかくなら学位をとっておきたい
    • 性格的な問題
      • いわゆるサンクコストを惜しんでしまうタイプ
  • プライドが高い
    • 留学を終えた自分をみんなに見せたい
    • フランス留学、客観的にはカッコいいという認識なのでやり遂げたい
    • 挫折しちゃった人と思われるの、悲しい
  • やめ癖がつくのが怖い(本音)
    • 合わないJTCでも3年は働けっていうし、1年で挫折するのは今後が不安
    • なんでもかんでも転職する大令和人間になってしまいそうで怖い
    • というかもう帰っても日本語のレポートとかですら努力できないのではと不安
    • すると、ここで帰ると私の人生は引きこもりニートということになる
    • 苦しんで残るか、引きこもりニートかだったら、まだギリ苦しんでいたい
    • 平成生まれの価値観として、このくらいの苦しみはまだまだ耐えるべきという思いがある

 

11.感謝

  • こんな不適合者な私が、不適合者と気付かず生きてこられた今までの環境に感謝
  • いままで高校や大学、クイズが私に向いていただけで、ほんとうは向いていないことは続けられない人間だったのだろう

 

12.今後について

  • インターンをしなくてはいけない(必修)
    • エンジニアの養成学校なので、実務経験を積むべきとされている
    • こんな私を雇ってもらうのが申し訳なくて、うまく探せていない
    • 自分で探す必要があるのだが、そういう理由で探す気力も湧いていない
    • このまま見つからず中退なのでは、と思っている

 

  • 精神状態について
    • 知人に知られたくないので詳細は伏せるが、かなり重度の強迫性障害を抱えている
      • 大1のときにお医者さんの診断を受けたので、素人判断ではない
      • 薬を処方されたが、なんか飲むと「ひらめき」が減るようで滅入ってしまったので、放置している(医療関係者のみなさま、ごめんなさい)
    • それに伴って、中程度のうつ病を抱えている
      • こちらも実は診断済み、あまり目を向けたくない

 

希死念慮がないぶん、まだ大丈夫だと判断しています。

こんなところで死んでたまるか、という思いなので、希死念慮が生じることもないでしょう。

 

ゴミ出しと一緒に自分を捨てたい、みたいな思考はありますが、イコール死にたいではないので安心してほしいです。

 

最後に、メンヘラポエムのコーナーである。

正直、こんなんネットに載せてるやついたらきしょくて無理って自分でも思うので、一番後ろに回しました。

ここまで読んでくださっている方は、相当優しい方だと思うので、温かい目でみてください。

QPQにしてくださっても構いません。

 

 

客死とはすなわち人生の終止符にピリオドを迎えることである。私の人生は句点で終わらなければいけない。日本人なのだから。

 

 

雨が降った。雨が心の汚れを洗い流してくれるなんて都合がいいことは当然なくて、彼は友だちである涙を呼ぶだけだった。

 

 

世界が重い。

空気の密度が、僕の周りだけ大きい。

違う。世界は重くない。

地面がひたすらに僕を吸い込むんだ。

だから、みんなには軽い今日ですら、僕には重く微笑むんだ。

だから、僕は明日に進めないんだ。

 

 

鈍色のピアスが僕を貫いた。はい、お前も鈍色の刑。

 

 

里帰りで一番嬉しいのは「また明日」があること

ひとり立ちで一番悲しいのは「また明日」を言えなくなること

 

 

この文章を読んでくださったみなさまへ。

RPよりもRIPを。

だってこれは、遺書なんだから。

 

 

おまけ:まだウキウキしていたころの私

 

遡ること1年……。

 

「今日、落公な」

 

最寄駅に向かって歩いているとき、自転車に乗った小学生がそう叫ぶのを聞いた。落公とは、落合公園の略である。東京の落合で生活している彼らにとって、「おちこう」は落合公園でしかない。本当であれば、落窪公園かもしれないし、越智高校かもしれない。それでも、彼らが「おちこうって何を略したおちこうですか」などと尋ねることはあり得ない。小学生の生活圏は驚くほど狭く、「おちこう」は一意に決まる存在でしかないからだ。私もかつてはそうだった。小学校、公園、児童館、すべてが一意に決まる環境で生きていた。

大人になることは、世界の拡大を伴う。今日まで大学生である私は、当然、自分の大学以外の大学を知っている。公園だっていくつ訪ねたかすらわからない。しかし、私は日本という島国の一住人として、地球に比して狭すぎる生活圏の中で人生を完結させてきた。世界の拡大、それはたかが知れたものでしかなかったのだ。

今日は、3月31日である。

私は世界へと飛んでいる。この4月から、3年ほどフランスへ留学する。先の会話は、その大きな旅路のほんの小さな第一歩で聞いた会話である。彼らの会話は、私に日本で育った日々を思い起こさせる良い餞別だった。最寄駅から無事に羽田空港へと移動できた私は、そこで友人と別れの時間を楽しんだ。3年間日本を離れるのは、やはり寂しいものだ。その寂しさをうっすらと感じ取ったときに、友人たちに「お見送りに来て」と頼んでしまったが、羽田空港に8人も来ていただいて少し申し訳ない気持ちになった。おそらく12月には1度帰省するのに。日本の他の都市に行く人には、そこまで大規模な見送り会を開かないのに。私だけに時間を使わせて、ごめんなさい。本心でそう思ったが、温かかったのは3月末という季節の羽田空港である。周りにも留学生と見える人々が大勢いて、皆が皆、大仰に見送られていた。私だけが特別に人を呼び寄せているわけではないという安心は私を優しく包んだ。

しかし、他の国に出るというのは、なぜにそれほど特別だと受け取られているのだろう。ここまでの私の書き筋にも現れているとおり、新生活シーズンであるこの時期は新天地に向かう人を多く観測するのにもかかわらず、殊に留学に関係する移動は稀少なものとして受容されている。かつて、海の外が、その物理的な遠さと同じくらい心理的にも遠かった時代の名残といわれれば肯んずるのは容易であるが、21世紀も四半を終えようとしている現代人が世界の縮小を忘れる様子を目撃するのはやるせなさを起こさせてやまない。Zoomを立ち上げれば0秒で私に会えるんですよ。お金さえ払えば、1日で戻って来られるんですよ。そりゃあ、私は寂しいですよ? でも、皆さんにとっては、関西で働く同期と同じような存在ではありませんか。なんて考えて、自分に向けられている特別な目を必死に訂正したくなる。一つ、仮説を立てるとすれば、留学する人への応援の気持ちが鍵となっている可能性がある。私が見送る側に立つとすると、「頑張れよ」という想いは確かに自分の足を羽田に向かわせるに足る心持ちだ。なるほど、私はみんなに応援されているのか。私の寂しい気持ちはみんなに汲み取ってもらっていて、そこに激励を投げかけてくれているのか。本当に、ありがとう。本当に、嬉しい。飛行機は各人が抱いた感謝の重みを乗せ、目的地へと留学生を運ぶ。もちろん、当たり前の話だが、当然、私の感謝が一番重いだろう。

唐突に旅行の記録に移るが、重いといえば、預入れの荷物には少々後悔が残った。私が予約したフライトプランでは、23kgまでの荷物1つは無料で預けられることになっていた。しかし、外国への引っ越しは何かと入り用なものが多い。特に、初めのうちはホームステイで、日本では洗濯の周期も分からなかったものだから、服が嵩んだ。やむなく、スーツケースは2つに分けることにした。そして、物を優先し、重量は特に気にしなかった。結果、大きい方のスーツケースはパンパンになり、小さい方のスーツケースは少しゆとりがあるような形でフランスに向かうこととなった。荷造りが終わったときは達成感ゆえに、その状況がはらむ問題に全く気付いていなかったのだが、カウンターで失策を突きつけられ、はっとした。つまり、大きい方のスーツケースが26kgと3kg超過していて、それは小さい方の余裕を踏まえれば、無駄な超過だったのである。私が支払ったのは重量の超過料金と荷物の個数を増やすための料金の2つ。しかし、うまく重さを分配していれば、支払うのは個数超過だけでよかった。留学生活最初の勉強である。

預入れの後は、保安検査の列が長く30分ほどを並ぶことに費やしたほかは至って順調で、無事に飛行機に乗り込むことができた。こうして、私は世界へと飛んでいる。ひとまずの目的地はソウルの金浦空港である。今乗っているのは金浦に夜の22時半に着く便で、ソウルでのトランジットの後、翌朝仁川からパリへと向かう計画である。羽田から金浦はたったの2時間半のフライトで、気分は卒業旅行の延長である。しかし、現実は卒業の先にある未来の始まりである。そのギャップを意識して、気を引き締めないといけない。って言われてもなあ。観光旅行気分で、私はソウルへと進む。

 

実際、2時間半はあっという間で、機内食を食べたり何やりしているうちに韓国へと降り立つことができた。最近は入国の手続きも電子化が進んでおり、流れるように到着ロビーへ辿り着くことができる。私たちも滞りなく、Welcome to Seoulと書かれたロビーまで移動した。金浦から仁川は空港鉄道で30分ほどという話である。経路が複雑でないことに安心しつつ、その反面で市街地などに寄り道できないことを嘆きながら、私たちは空港に向かった。私たち、という表現が出始めたが、実はこの旅、2人での道中である。4月から同じプログラムでフランスに行く友人は何人かいるのだが、そのうち1人と共にパリまで行く予定である。彼はK-POPを好んでいるから、このトランジットでソウル中心に寄れないことには私以上の悲しみを覚えていることだろう。しかし、すでに時刻は23時を回っている。明日の飛行機は10時台に韓国を出る便であるから、余裕はない。スーツケースを必死に引っ張って、空港鉄道の駅までの10分ほどの道のりを急いだ。

ここでも1つハプニングである。空港の駅であるから、当然旅行者向けにクレジットカード決済で切符が買えるものと思っていたが、どうもそうではないらしい。少なくとも、券売機をいじった範囲では、現金または現地のカードのみを受け付けているようであった。窓口に行けばカード決済もできるのかもしれないが、夜の遅さゆえか駅員の姿も見当たらず、ただ発車時刻の近づきが焦りを募らせるような雰囲気が生まれる。我々は意を決して、道中で見かけた自動両替機のところまで戻ることにした。両替自体に問題はない。もっというと、この一連の流れ自体も、そこまでの問題ではない。しかし、予想と現実のわずかな異なりはそこかしこに散らばっているのだということの好例として、私の脳内に焼きついていくだろうことは間違いない、そんな出来事であった。

1点補足すると、現在いくつかの国では決済の電子化が順調に進んでいる。日本はまだまだキャッシュの文化が根強いが、新技術の吸収が早い国は様相がまるで異なっている。私が昨年学会発表に赴いたシンガポールでは、クレジットカードのタッチ決済機能で鉄道にもバスにも乗車することができた。イメージとしては、Suicaの代わりにクレジットカードを使っているような形である。そもそも、日本ではクレジットカードのタッチ決済自体があまり認知されていないように思えてならない。電波のマークが書かれたカードを持っている人は大勢いるのに、多くの店では一律に端末へのカード挿入を要求してくる。端末にかざすだけで本当は決済できるんですよ。おっとっと、話が脱線している。仁川のホテルまでの道のりは、実はまだ少々語ることが残っている。ここで、その話に戻ることにしよう。

両替をした関係で乗ろうとしていた電車が目の前で行ってしまうという、日本でよくやったなあというようなトラブルが一件あったが、ひとまず無事に仁川空港第1ターミナル駅に到着した。本日の宿は駅から歩いて15分ほどのホテル群の一角に位置しており、シャトルバスなども充実しているから移動は余裕、というのは昼間の話である。ここまでで0時を大きく回っており、当然徒歩移動だ。それでも15分といえばそうなのだが、スーツケースを持っているとそう上手くはいかないのである。空港ターミナルとホテル群の間には、駐車場が所狭しと横たわっており、驚くべきことに車道ばかりで歩道がないエリアもある。ホテルまでどう歩かせるつもりなのだろうか。というのは疲れ果てた私たちの感想で、本当は便利な道があるのかもしれない。しかし、トランジットのみの滞在で現地のSIMも入れていない私たちには、そのような可能性を検索する余裕もなかった。駐車場をジグザグに、二つのスーツケースを持って進む。車優先のエリアゆえに、横断歩道がなく歩道橋が悠然と佇むのみ、なんてこともある。重たいスーツケースである。階段は、1つずつ持って上るので精一杯である。そんな苦労をしていたら、ホテルに着くまでに倍以上の時間をかけてしまった。こうして、1時を過ぎたころ、私たちは宿に倒れ込んだ。

翌朝のフライトは10時45分発である。8時半には空港に着いておくのが賢明だ。朝食も考えると、8時には宿を出るべきであろう。とすれば、懸命な旅行者であれば睡眠を選択するしかない時間帯である。しかし、せっかくの韓国だ。私たちは、準備で疲れた身体に鞭打って、散歩に繰り出した。近隣の豪華な施設、オブジェなどを一通り見て、最後はコンビニに入ってみた。コンビニはクレジット決済に対応していた。私が買ったお菓子の味は日本とそう変わりなかった。彼が買っていたカップ麺の味も、おそらく少し辛いだけで、日本のものとあまり変わりはしないだろう。

 

韓国は、隣国である。この事実を、翌朝の朝食でも噛み締めていた。料理の味が似ている。白い米が出てくる。これは、仁川のフードコートで食べたご飯の感想だ。朝っぱらはシャトルバスが元気よく走り回っていて、私たちは苦労せずに空港に向かうことができた。超過した荷物を乗り継がせるところにやや時間を要しはしたが、検査場の中までも順調に入ることができた。そうして、搭乗ゲート近くのフードコートで朝食を取った。せっかくなので、韓国料理である。牛肉が美味い。白米が美味い。最高だ。チゲが提供後もしばらく沸き立っているほど熱かったのが、やや難点ではあった。

準備は忙しく行ったが、ここまで致命的なミスは見つかっていない。夜にホテルで、携帯を格安プランに変えた際にキャリアメールの持ち運びを行い損ねていたことに気付いたときは肝が冷えたが、持ち運び申込みを慌てて行って一晩経った朝には、とりあえずメールの受信に成功していた。私はキャリアメールをAmazonなどいくつかのサービスに利用してしまっているため、こういうときに不便である。この旅では、iPadにPrime Videoの映画をダウンロードして長いフライトを乗り越える予定だったが、その関係でこのミスに気付くことができた。iPadといえば、type-C対応のイヤホンは荷造りから漏れていて、こちらもホテルでやや焦った。しかし、空港でなんなく購入することができた。

便利な世の中になったものだ。小さい頃、旅行にはTSUTAYAで借りたいくつかのDVDとDVDプレイヤーを持って行っていたことを思い出す。しかし、今ではiPadに自分の好きな映画を入れていけるのだ。

そんな今日は、4月1日だ。世間ではエイプリルフールに乗じた祭りが行われているのかもしれないが、私たちはそれを知る由がない。4月1日は移動の日である。10時15分に搭乗開始。10時45分にソウルを出て、フランス時間17時半にパリに着く。日本時間に揃えれば、大体10時半から24時半の14時間を飛行機の中で過ごすことになる。長い。本当に長い。これを書いている今、11時間を終えて残り3時間なのだが、マジで長い。いや、長くないのかもしれない。フランス語もやりたいし、映画は見終わっていないし、ダウンロードした漫画も序盤。うーん、充実したフライト生活である。

主な生活内容は、以下の通りである。まず、機内食。これは絶対に食べる。今回は少し面白いこともあった。17時過ぎに早夕食のカートがやってきて、私たちは「ポーク・オア・シーフード?」と伺いを立てられた。ポークはおそらくアジア風のチャーシューなので、これが良いと、私は「ポーク・プリーズ」と答えた。しかし、私の直前でそのカートのポークは売り切れてしまった。無念である。フライトアテンダントさんは、別のカートにあるポークを持ってくる、と優しく伝えてくれた。しかし、待てども待てどもポークは来ない。そう、人気メニューのポーク、どのカートでも売り切れていたのである。私と、隣席のオーストラリア人は、シーフードでも良いですか、と尋ねられ、まあ良いですよ、と返した。そしてシーフードを待つ間、プレッツェル型のスナックで腹を満たすことになった。周りが揃って機内食を食べている間、ぽつねんとスナックを食べている状況もすでに面白かったが、しばらく経って運ばれてきたシーフードがオーストラリア人のものだけだったことはそれよりも面白かった。ポークを探している間に、シーフードも売り切れ。本当に? 機内食が両味売り切れるとか、ある? 私は夕食をスナックで済ませる人間になった。と思ったのも束の間。謎の食事が運ばれてきた。CAさんのまかないだったのか、ビジネスクラス用のメニューだったのかわからないが、運ばれてきたのは「ビーフ」。ポークでもシーフードでもないんかい。大慌てで用意されたのか、やたらに熱かったビーフ機内食を頬張りながら、私はひっそりとツッコミを入れた。

隣席のオーストラリア人は気さくな人で、私に話しかけてきてくれた。彼は18歳で、ギャップイヤーの初めにフランスを満喫するのだという。フライトも残り6時間となったころ、彼は私にゲームをやろうと声をかけた。最初のゲームは◯×の陣取りゲームで、理論的には面白みの薄いものだ。しかし、私も最適な手を完全に憶えているわけではなかったので、思考の綻びなどが生じて盛り上がりを見せた。ひとしきり楽しんだのち、彼はチェスをやらないか、と持ちかけてきた。こうなると形勢逆転である。私は、チェスは全くの初心者である。人生初のチェスと言っても間違いではなかった。正確には、出来たらカッコいいだろうなと、アプリで駒を動かしてみたことはある。しかし、細かいルールがあまりわからず、ゲームを楽しむ前に諦めてしまったのだった。そうして、飛行機の上で私のドキドキのチェスが始まった。最初は、ポーンは二マス動かせるんだったな、なんて思い出しながら、何とかオープニングを終えた。意外にも速攻で惨敗、という結果には至らなかった。幸い、コマの動かし方だけはギリギリ憶えていたので、長考を重ねて耐え忍んだ。中盤、苦しい場面が生じた。自陣に切り込まれ、なんか詰み筋ありそうだなあという局面に至ってしまった。とはいえ、せっかくの初チェスである。必死に考えに考え、運も味方して、なんとか切り抜けることができた。そして、おそらく五分な形まで盛り返すことができた。しかし、攻め方がわからない。私は攻めあぐねた。そして、予想外の一手を指されてしまった。プロモーション。そのルールの存在と内容はなんとなく知っていたが、コマの動きだけを頼りに考え込んでいた私には盲点だった。突然現われる2人目のクイーン。後は、延命措置しかできなかった。延命もまあまあ楽しみ、初めてにしては長い対局でチェスの面白さを知ることができた。オーストラリア人の彼が初心者の私に合わせてくれたのでは、とも勘繰ったが、そんなこともないようだった。こうしてヨーロッパではチェスとかやってみるかあ、とすっかり天狗になった私は、幸せに体感フライト時間を短くすることができた。いやいや、彼には本当に感謝である。

残りの2時間は短く、あっという間にパリに到着したのだった……。